穂高
実は、突然行くことになってしまい、久しぶりに穂高にやってきました。
やっぱり夜は涼しい!今日は大雨が降ったということもあるかな。
エアコンのいらない夜なんて何日ぶりだろう。
この間、長野と飯田に行ったときもホテルの部屋では一晩中エアコンをつけていたもんなぁ。
それでも、私が穂高にいた頃はエアコンをつける夜なんて一夏で数日しか無かったけど、最近はそうでもなさそう。
そんな久しぶりの穂高で知ったニュース。
澄子さん死去、河野さん「ぎりぎりまで命を燃やし尽くした」(読売オンライン)
松本サリン事件が起きたとき、私は河野さんの自宅からクルマで5分ぐらいのところに住んでいた。
そのときのこと今でもはっきりと覚えている。
朝会社に行くと、みんなで興奮気味に「何が起こったんだろう」と話していた。
夜、ニュースステージョンを見たら、河野さん宅のかなり精巧な模型が用意されていて、久米さんが詳細に解説していた。
その時の口調は、明らかに河野さんを犯人だと決めつけているものであり、これは久米さんだけでなくニュース23の筑紫さんも同様だった。
ただ、「犯人」というよりは「農薬の調合を間違った可能性もある」とか「戦争時に埋められた細菌兵器の可能性」なども指摘されていたように思う。
新聞や雑誌も酷い内容で、翌日から河野さんを犯人と決めつけた記事が反乱することになる。
薬物の専門家が農薬説に関して疑問を投げかけても、マスコミも警察も全く耳を貸さなかった。私は、戦争時の細菌兵器のの可能性が高いと同僚と話し合っていたけど、すっかり「河野さんが犯人なのかなあ」とも思ってしまった。
この事件の悲劇は、不特定多数の市民までもが無言電話や手紙などで河野さんを攻撃してきたことであり、その上真相を追求するべきマスコミまでもが、いっしょに加害者となってしまったことだ。
このときマスコミの「ジャーナリズム」は地に落ちた。
その後、確か京都かどこかの高校生が、農薬説に疑問を投げかけたり、サリンと農薬の関係を否定する文書が撒かれたりしたが、警察とマスコミがはっきり間違いだと認めたのは、翌年地下鉄サリン事件が起きてからだった(この辺りは記憶が曖昧)。
この時のことを考えると、今のマスコミは少しは変わったのだろうか。
多少は容疑者に対する扱いが変わったようにも思えるが、報道を見ていると、絶対に犯人だと決めているのに、建前だけで一般市民扱いにしているケースが多くなっただけに思える。
結局本質は変わっていないのかもしれない。
ここで、もう一度マスコミは自らを見直すべきではないか。
真実を追究する前に思考停止に陥っている現状は、14年前と何も変わらないのだから。
8 月 6th, 2008 at 12:34:27
私もこの事件は重く受け止めています。この一件と久米アナのダイオキシン報道がマスコミ不信の原点になりました。
河野さんを犯人視したマスコミ(特にテレビ)は今も何ら変わっていないでしよう。
真相究明よりも、尤もらしく画像を組合せ虚構を組み煽り報道することにより視聴率を稼ぐ姿は不偏でしょう。
話は変わりますが先日、富山県の黒部渓谷欅平から白馬岳・鑓ヶ岳越えで白馬に抜ける縦断の山旅をしてきました。
一歩一歩、歩を進めることによりのみ到達できる桃源郷を味わってきました。
いつの日か日本海~アルプス~太平洋という列島縦断を果たしたいと思っていますが、まだ縦断すべきアルプスの山々が数多く残っています。
マスコミ報道を鵜呑みにするのは、言わばツアー旅行みたいなものでしょうね。ツアーのバスやケーブルカーの沿線の景色しか観察できないのであれば写真集で十分だと思っています。
自らの足で地形や地質、植生や動植物の生態の一部なりとも観察することが喜びです。そして、その観察を基に予習復習を行い知識を深める喜びは何にも代え難いものです。
8 月 6th, 2008 at 13:03:22
穂高ですか。昨夕の雨は久々の恵みの雨でした。
昼間は暑いですが、朝晩はさすがに気持ち良いですね。
14年前、訳がわからず恐ろしくて「河野犯人説」に飛びついた自分を羞じてます。
今日の新聞(ウチは全国紙ですが)もあまり検証記事らしいものは載ってませんね。長野版も若い記者の感想めいたものだけですし。当時の長野支局長の手記くらい載せたらいいのに、本来は社説で改めて取り上げるべきことなのに。
これから図書館に行って、信毎も読んでこようと思います。
昨日のニュースは、「夫に看取られて安らかに亡くなった」と言っていたように思うのですが、新聞では知らせを受けて病院に駆けつけたところ医師に「間に合いませんでした」と言われた、となってますね。これは、新聞の方が正しそうです。
WAKUROUさま
日程に追われるツアー旅行でも、その場の空気を感じるだけ写真集や紀行番組とは違う、と時々添乗員のアルバイトもする私は思います。自分で行くのは、試行錯誤する個人旅行ですが。
8 月 6th, 2008 at 21:45:58
「河野犯人説」は、私も信じました。
でも、たとえ犯人だったとしても、故意に殺人を犯したという事実は、さすがにどこも報じていなかったので、「何かの事故だろう」ぐらいな感じでした。
だから、マスコミや匿名の市民に攻撃される理由がわかりませんでした。
特に信毎は酷かったようです。
県紙が、自ら真実を放棄して県警の発表のみを事実として伝え、さらに煽っていたわけですから、河野さんにとっては見方だと思っていた人が、いきなり包丁を持って向かってきたように思えたかもしれませんね。
あと、明日ある場所に行ってきます。
私はツアー旅行だろうがオリジナルの旅行だろうが、旅行というのはその場の「空気」を感じることが最も大事なことだと思っています。写真集と異なるのはそこですね。
これが無ければ、どんな形の旅行であっても、面白さは半減してしまうのではないかと思います。
8 月 6th, 2008 at 21:49:45
きょうこさん、ツアー旅行云々はマスコミの例えです。(某幹事長も例え話しから、揚げ足を取られるような批判をされていますが、私の場合もツアー旅行を否定しているわけではありませんので理解してください。)
登山だって登山道を歩くだけなので、ツアー旅行と五十歩百歩と言われれば、そうかなと思います。
昨年、信大の地学の4年生が野外観察中に落石に逢い亡くなられました。地学の人たちは登山道以外のところでも歩きますね。それでも歩ける範囲は限られています。
我々が日常接する情報も限定的であることは間違いありません。しかし、より多くの情報に接し、人に接し、それらで得た情報を自らが整理し、思考することが重要なのでしょうね。
但し、感情的な情報は排除する必要がありますね。主観的にならないためには感情に左右されるのは避ける必要があると思います。
8 月 6th, 2008 at 22:01:13
書き忘れました。
感情を煽るようなテレビニュースよりも新聞のほうが少しはましなように思います。
「河野犯人説」を信じさせられたのも、ニュースキャスターやコメンテーターの感情的な発言によると思います。そのような感情的な発言に接っせずにいれば、攻撃的な感情も湧かなかったことでしょう。
煽られて匿名で攻撃した市民に責任があるのは勿論ですが、煽ったマスコミの責任は常に問われることはなく頬被りされますね。
8 月 7th, 2008 at 7:52:18
WAKUROUさん、「ツアーのバスやケーブルカーの沿線の景色しか観察できないのであれば写真集で十分だと思っています」と書かれたら、例えだとしてもツアー旅行の批判にしか見えませんよ。例え話は「例えて」いるわけですから、読み手はそれが書き手の主張だと思うでしょう。
あと、テレビか新聞かで言うと、確かにテレビの方が影響力は大きいでしょうね。いくら新聞や雑誌で特集を組んでも、久米宏(今はみのもんた)の発言の方が影響力は大きいでしょう。ただ、松本サリンの時は、信濃毎日新聞と週刊新潮が執拗に犯人説を煽っていたのに対し、テレビは通り一遍の野次馬的報道に終始していたように思えます。
週刊新潮は、いまだに謝罪どころか検証も行っていないようです。
自らの間違いを反省できないマスコミには、「ジャーナリズム」は名乗らないでほしいですね。
8 月 7th, 2008 at 9:07:04
スレ違いかもしれませんが、テレビをつけニュースを見ると五輪ばかり、ニュースさえ見る気が失せました。
BSの紀行番組がいいですね。日本の旅番組とは違って、じっくり見られます。
週刊新潮にかぎらず、マスコミは自らは間違っていないと、謝罪なんて聞いたことありません。朝日新聞の素粒子もそうですね。匿名で書き放題。
しかし、マスコミはまだよいほうかもしれません。裁判官には呆れる人もいます。そしてそれが例え間違っていても法的に正しいとされ、なかには判例として後々まで悪弊を残すこともあるのですから。判決主文と関係ないところで個人感情を示す裁判官もいます。これを断罪する方法がないことに不満を感じています。
8 月 9th, 2008 at 9:21:45
衆院選の時は、最高裁の裁判官についても判断しなくてはならないわけですが、選挙の候補者すら十分な情報が無いのに、最高裁判事なんてわかりませんよね。
裁判というのは真実を争うところではなくて、理屈を争うところですから、真実と異なる結果となることもあると思いますが、裁判官の資質に欠けるような人がわかるような情報はないのかな?と思います。
個人感情というか、その人の考え方を述べるのは良いと思いますが、当然、判決は個人の感情や考え方とは距離を置くべきでしょう。