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12.21月 若者と政治・社会との接点を。武蔵大学高橋ゼミ2009

2009 年 12 月 21 日 Comments off

私は、武蔵大学というところで非常勤講師をしています。
2年生のゼミ担当。

この「非常勤講師」というものが、職業として見るとどれだけ割に合わないかというのは、テレビや雑誌でも特集が組まれたのでご存じの方も多いと思うけど、自分の子どもと同じ世代と向き合える経験は、自分自身にとって非常に刺激的で、仕事として割り切れないものがある。

私は、学問としての社会学の知識も実績も無い。しかし、武蔵大学では社会人を積極的に講師として入れ、学生の1年次からゼミを通じて社会との接点を持たせている。

これは素晴らしいことだと思う。人選を間違えると学生にとっては悲劇だけど、学問だけ詰め込んで(詰め込まなくても)社会に放り出されるよりも、いきなり「社会」を見せてしまった方が学問も肉になりやすい。

また、武蔵大学の少しおっとりした雰囲気も良い。私はこの雰囲気が大好きだ。

私のゼミでは、理論的なことはちょっとしか無い。半分近くは一週間にあった政治的、社会的事件の解説。そして、学生が自らの視点で社会の問題点を取り上げ、政策提言としてまとめる。そのために、社会人に直接会って話を聞く。

世代政党』という概念も、ここから出てきたもので、若者が自らの視点で社会にアプローチするひとつの方法として、「政党」という形が面白いのではないかと考えた。

今年のゼミでは話題に事欠かなかった(昨年もそうだったけど)。
何しろ、政権が交代してしまったからだ(その為に、夏休みもいろいろ動いた)。

4月からは淡々と通常のゼミの形式。
国会議員に連絡しても、「いつ解散になるかわからないので、なかなか先の予定が入れられない」。
であれば、9月までには必ず解散があるので(こう書いていて、すごく昔のことのように思る)、懇談は後期にしようということにした。

前期の最後に、学生による最初の政策提言。
政策と言うよりも、自分のアイデアを披露という感じ。でも、この時点でなかなかユニークで面白いものが出てくる。

後期は政権が変わったので、まずはそのおさらい。

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大河原雅子議員

10月22日には、昨年に続き、私が姉のように慕っている大河原雅子参議院議員との懇談会。
ちょうど八ッ場ダムの問題が盛り上がっているころで、ずーっとこの問題に取り組んできた大河原さんは、30分以上に渡って熱心に解説してくれた。学生にとっても初の議員会館ということもあり、いきなり生々しい国政の現場を見て、かなり刺激を受けたようだった。
大河原さんは、日増しに逞しくなっているというか、頑丈になっていく感じ。あ、体格がというわけじゃ・・・ここだけの話で(^^;

高野登氏特別講義

高野登氏特別講義

11月19日。元ザ・リッツカールトン・ホテル日本支社長の高野登さんを招いて、常識にとらわれないものの見方を講義してもらった。ちょうど長野市長選も何度も取り上げた後だったので、 みんな興味津々。有料でも全国から聴講者が集まってくるような高野さんの講義は2時間に渡って圧巻だった。
この時、初めてライブ配信を行った。
私としては、まだ高野さんに申し訳ないことをしてしまったという後悔の念があるけど(実は今日も会います)、このような素晴らしい人物と会えたことで、長野市長選挙というのは私にとって生涯思い出に残る一つの選挙となった。

田中優子世田谷区議

田中優子世田谷区議

12月3日は、ゼミ生H君の希望で、「自殺について学びたい」をテーマにして、世田谷区議の田中優子さんに来てもらい、自治体議員の仕事と自殺防止対策に関しての講義を受けた。
普通の主婦(ごめんなさい!)にしか見えない田中さんが、なぜ「議員」という仕事についたのか。身近な存在ながら、実態がわからない自治体議員の仕事。そして自殺の実態と防止への取り組みについて、時に刺激的な数字や実情も交えながら解説してもらった。

蓮舫参議院議員

蓮舫参議院議員

12月10日は、蓮舫参議院議員との懇談会。
打診をしたのが事業仕分けの人選が発表になる前。その時は、蓮舫さんも「いやあ、暇で暇で」などと冗談を言う余裕もあったけど、その後はご存じの通り。もともと著名だったのに加えて、まさに「時の人」となった蓮舫さんには、もちろん「事業仕分け」の裏話や、ご自身の芸能人時代の話まで素早いテンポと迫力で聞くことが出来て、和やかな中にも刺激的な時間となった。

蓮舫参議院議員とゼミ生

蓮舫さんとゼミ生

そして、今年最後のゼミは、学生たちの2回目となる政策提言。全部はできなかったので半分くらいは来月に持ち越しとなってしまったけど、それなりに前期に加えて深さが出てきた感じはあった。

最初にも書いたように、私には学問として社会やメデイアに関して伝える力はないけれど、普通の会社員を辞めて東京の真ん中で小さな会社を興し、今のところは幸運にも経営がなんとかなりたっているひとりの社会人として、精一杯若者に何かを伝えられたのではないかと思う。

それを判断するのは、ゼミ生のみんな。どうだったかな?

来年は1年生を担当するらしい。
「ほとんど子どもだよ」と言われたけど、はたして政治に興味を持ってくれるだろうか。

いや、必ず興味を持つと思う。
その為の、ネットラジオ局開設なのだから。

11.20金 高野登さん特別講義のライブ中継で見えてきたもの。今後は映像主体か音声主体か。

2009 年 11 月 21 日 Comments off
高野登さんの特別講義

高野登さんの特別講義(撮影:@kazemachi)

昨日のライブ配信は、高野登さんの「武蔵大学高橋ゼミでの特別講義」。

事前告知をしなかったにもかかわらず、ツイッターでつぶやいただけでTotal viewsが40ほどあったので、少なくとも20人以上は視聴してくれたのかな。ありがとうございます。

内容としては、高野さんが研修や講演で話しているであろうことを、その場で学生に合わせて話し方を調整したり、学生に行動させて伝えたり、横で見ていて実に惚れぼれする講義だった。
体の移動のしかた、声の抑揚など、参考になることも多々あり、私も学生のように楽しめた。

ライブ配信

ライブ配信

長野の話で、ちょっとドキッとする発言が飛び出したり、今後のことを話してくれたり、実際にどうなるか分からない面もありながら、さまざまな可能性を感じさせてくれた2時間。改めて、高野さんの凄さとすばらしさを感じた。

あと、もうちょっとで、長野市民は高野さんの話を何度も聞くことが出来たのだと思うと、また自分の不甲斐なさにいたたまれなくなったりして・・・。まあ、過ぎたことをあれこれ考えてもしょうがないんだけど。

まあ、このような実況中継は、またやります。
やっていて非常に面白かったし、いろんなことがわかったので。

さて、実際にライブ配信をやってみて、検討しなければならないことが出てきた。

それは、「映像主体で行くのか、音声主体で行くのか」ということ。たとえば、シンポジウムであれば映像を見せる重要度は増す。講演会だったら予備的な感じでも良さそうだ。しかし、両方とも音声が最も重要。

イベントのレポートや何か「画的」なものを伝えたい場合は、もちろん映像メイン。声や音楽だけを聴かせたいのであれば音声が最も重要で、映像があっても補助的なもので良い。

要は、私が何をしたいかということで、やはり基本はラジオだと思う。

そうなると、音声系統に少し力を入れて、映像はウェブカメラ固定でも良さそうだ。

逆に、映像が主体になると30分の番組であっても、見るに堪えるものを制作するのは非常に難しいし、コストもかかる。
具体的に言うと、固定アングルで30秒以上見続けるのは苦しいということ。そうなると、複数台のカメラとスイッチャー(ローランド流に言うとビデオミキサー)が必要になる。

実は、ここがライブ配信のメリットでもあり、カメラ1台でもライブ感さえ伝えられたらなんとかなる。テレビの場合は、生放送でも事前の仕込みが重要だけど、ビデオジャーナリスト的なスタンスになると、カメラ1台を抱えて自分でしゃべっていれば、かなりの臨場感を伝えられるのだ。

これが、録画になると、構成を考えてアングルを変えたりテロップを入れたりエフェクトをかけたりする必要があるので、機材も手間もかなり大がかりにせざるを得ない。「気軽」というわけにはいかない。

そう考えてくると、やはり基本は最初からやりたかったラジオ。映像はオマケ的なもので、極端な話、全体を俯瞰する映像だけでも良いかもしれない。

番組的には、

  • ラジオ1(ラジオそのもので、映像はオマケ)
  • ラジオ+映像(さだまさしの「今夜も生でさだまさし」みたいな感じ)
  • インタビューや対談(将来的には2カメ以上)
  • シンポジウムや講演会のライブ中継(音声はラインが基本)
  • イベントやルポ的なもの

こんな感じかな。これらをすべてライブで流し、あとで編集を加えてポッドキャスティング。

内容の善し悪しはあるけど、これなら比較的低コストで続けられるかもしれない。

次の放送は、12月上旬か・・・。

10.30金 長野市長選挙エピソード3 高野登氏擁立/ベステンダンク

2009 年 10 月 31 日 コメント 4 件

長野市長選挙に関しては、とりあえずこれで終わりにします。
個人的には、まだ引きずってます。

・・・
高野登さんの擁立は2年前に遡る。

田中康夫元知事が3度目の知事選で敗れたあと、その時田中さんに投票した53万人の思いを次の長野県政につなげていこうと、平野稔氏(平安堂会長)は独自に次の知事候補を探し出した。

私は、2002年に東京に出てきてから長野県政には関わっていなかったので、時折平野さんの相談を受けるような形になっていた。
みなさんは、平野会長をどうイメージしているでしょうか。
彼は、正義感に溢れた熱血漢で、決してぶれることはない。思いやりと気配りで私のような若造(そんなに若くもないけど・・・)にも常に丁寧に接してくれる人だ。

あまりに芯が強いので、相手によっては衝突することもある。しかしそれはお互いの目線が異なる場合であり、平野さんは常に市民目線で考えているので、相手がそうでなければ誰であっても対立することになる。

平野さんから相談を受けた私は、つい思いつきで「地域政党を作りましょう」と言ってしまった。

そして出来たのが地域政党『新しい信濃の国』なのだが、器だけ出来ても実質的な中身(事務局)がないので、なかなか活動を進められない状態で今日まで来ている(詳しくは『電網参謀』・・・って、こればっか(^^;)。

2008年には松本市長選挙に中途半端に関わって惨敗してしまい、「次は自分たちで候補者を擁立して、積極的に関わらなければ」という思いが強く残った。

一応、知事候補と長野市長候補を並行して探していたが、まずは長野市長を変えなければ始まらないということで、市長選の勝利を目指して最高の候補者を捜すことになった。

そして複数人の人物を挙げたが、これといった決め手がなかった時に現れたのが高野登氏だった。

平野さんが高野さんを知ったきっかけは割愛するが、一度会って「この人物しかない」と感じたようだった。私は平野さんから話を聞き、ネットで調べ、著作を読み、そして本人に会って「この人しかいない」と感じた。

今までの改革派首長の多くは、県庁や市役所の職員を「市民にお仕えする公僕」と捉えて、それまでのぬるい仕事っぷりを直したり、より市民のために身を粉にして働くことを強要する。

しかし、高野さんは違う。
おそらく、首長になれば職員を非常に大事に考える。職員が安心して働ける職場環境を作り、目標を共有し、市民の満足が自分の満足に繋がる意識をみんなで作り上げていくことができる。

そうなると、自然と業務は改善され、市民と市政の距離は縮まっていく。

これが絵空事でないのは、すでにリッツカールトンという成功例があるからだ。
そのまま行政に当てはめれば良い。

だから、高野さんは、日本で初めての『ザ・行政』に取り組むはずだった。

それを政策チラシに織り込むために、「日本一」ということばを使った。
これも、高野さんがリッツカールトンで実現してきたことであり、長野市でも必ず実現できると確信できることだったからだ。

これに関しては以前書いたとおり
コンクリートよりも人を大切にする市政で、「日本一」を目指す

さて、高野さんを見つけたまではよいが、立候補を決意してもらうのは簡単にはいかなかった。

ホテル業界を牽引し、全国を飛び回り、数々の街おこしにも関わっている高野さんに、故郷だと言っても、いきなり政治家となって一地方都市の首長になる決心をさせるのは不可能だと思われた。

この詳細も割愛させてもらうが、結局、平野さんや私を信じてもらうしか無かった。

私が今でも引きずっているのは、この信頼を裏切ってしまったからであり、先日も書いたが、致命的なミスが何件かあったからだ。

一つは、民主党との一本化に失敗したこと。

これは先のエントリーでも書いたように、民主党がA氏擁立に失敗した時点で、「最終的には高野さんで決まるな」と思いこんでしまった。民主党側が言った「私たちは選挙を何十年もやってきているプロだから」というセリフをそのまま信じてしまった。選挙のプロが、みすみす最高の候補者を前にして、共倒れの恐れが出るようなことをやるはずがないと思いこんでしまった。

次に、メディアの調査と街の反応を信用しすぎてしまったこと。

以前も書いたように、とにかく反応が良かった。告示日にいっしょに回ったが、何度泣けてきたことか。それほど市民の反応は熱いものがあった。
期日前投票の出口調査も良かった。投票前の水曜日あたりでは互角の情勢分析が出ていて、出口調査と街の反応で「勝てる」と思ってしまった。
本当は、接戦の場合には最後の24時間でひっくり返すことが可能だ。以前の桶川市長選で最後の2日でひっくり返された事例を知りながら、「自主投票」を決めていた某団体に対してノーマークになっていた。

三つ目が、現場に入れなかったことだ。

私が現場にいたからと言ってどうなるものでもないが、東京にいるとどうしてもワンテンポ判断が遅れるのと、現場の空気がわからないので強い指示と適切な判断を出せなかった。正直言って遠慮していた部分もあった。

この他にも「もっとこうすれば良かった」といった反省はいろいろある。

高野さんは、私のことを100%信用してくれた。私の本を読んで、会って間もないのに、私が提案することは何でも前向きに取り入れようとしてくれた。高野さんが退路を断って来ているのだから、私も退路を断つぐらいのことをやるべきではなかったか、と思ったのだが、それは後の祭りだった。実はこれが最大の後悔となっている。

しかし、すでに終わってしまったことだ。次を見なくてはならない。

長野市民にとって期待が持てそうなのは、3期目の鷲沢市長が、投票日翌日に「いただいた5.8万票より、反対票が9万票近くあった。今回の選挙は完敗です」と発言したとされることだ。

実は、平野さんは鷲沢さんに対して「彼は人間は悪くない。若い頃にお父さんを亡くし、学生のうちから社長として車で送り迎えされるようになってしまったので、一般市民の感覚がわからないのだ」と言っていた。また、4年前の選挙で投票率が37%しか無かったことに対し、鷲沢さんは「これでは信任されたことにならない」と激怒していたという。本当は、市民の声を聞きたいのではないだろうか。

私が会った「市民」にはすこぶる評判悪かった鷲沢市長だが、一般の「市民」にはそれほど悪い印象は無かったのではないか。
これは最初から危惧していた。今まで、選挙に関わる「市民」が「現職は最低ですよ。市民の間でも評判が悪いんです」 と言っているのに、実際はほんの一部の「市民(活動家)」に評判が悪いだけで、蓋を開けたら惨敗したケースを何度も見てきたからだ。

私は、鷲沢さんのコメントを聞いたとき、安倍さん、福田さん、麻生さんの「自民党末期トリオ」を思い出した。決して彼らは人間的に悪いというわけではなく、生い立ちが原因で一般市民の気持ちがわからないだけなのだ。

鷲沢さんはどこまで変われるか。おそらく、市民が市政への感心を落ち続けないと、なんとなく4年が過ぎてしまい、また同じ光景が繰り広げられることになるだろう。

主導権は市民にあるのだ

今日、間違って「高野」で検索して、高野寛のビデオを見つけてしまった。

高野寛さんは、いわゆる「ミュージシャンズ、ミュージシャン」で、端正な顔立ちが災いしたのか、過小評価されているが、同業者にもファンが多い実力派のミュージシャンだ。

彼の作品で私が最も好きな、「ベステンダンク」という曲がある。なんとトッドラングレンがプロデュースした名曲だ。
ドイツ語で「最大限の感謝」という意味らしい。

もともと曲を気に入っていたのだけれど、歌詞をちゃんと見たら市長選を思い出して、また目頭が熱くなってしまった。

この声は小さすぎて
君の元までは届かない
例えそれを知っていても
叫ばずにいられない

(これ以降はこちらをご覧下さい)

高野さんの演説は決して絶叫型ではなかった。淡々としたしゃべりが、じわりじわりと染み込んでいくような演説だった。しかし心では叫んでいた。「市民に届け」と念じているようだった。

これはアコースティックバージョン
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こちらはプロモーションビデオ
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10.28水 長野市長選挙エピソード1 民主党と共産党

2009 年 10 月 29 日 コメント 4 件

もうしばらく、長野市長選関連の話が続きます。
いろいろコメントもありがとうございます。

・・・

私は、政治家の情報発信をサポートするのが仕事だけど、なぜか長野に関しては、まるっきり無償ボランティアになってしまう。今回も、交通費や宿泊費など、すべて持ち出しだった。自分でも、なんでそこまで入れ込んだのかわからない。たぶん、高野さんでなければ関わらなかっただろう。

今は、選挙期間中に後回しにしていた仕事を片付けて行かなくてはならず、振り返っている余裕も無いのだけれど、長野からはメールや電話が頻繁に届く。

その多くは、高野さんを評価する声と「わくわく!ながの」存続の要望、そして民主党長野県連の批判だ。

ちゃんとした総括は誰かがやるとして、ここでは二つの「間違い」を指摘しておきたいと思う。
私の知り得る範囲の話なので、事実と若干異なることもあるかもしれません。

最初に高野さんを擁立しようとしたおよそ8人ほどの中で、「支援団体の名前を決めよう」ということになり、私がいくつか案を持っていくことになった。

私は「**の会」といった名前があまり好きではなかったため、高野さんとの話の中で浮かんだキーワードを基に、10ほどの案を持っていった。その中に「ワクワク信州」というのがあった。

そこからいくつかのパターンを考えて、「わくわく!ナガノ」にしたところで、仮で作ったロゴを高野さんも含めた5人で見て、「『ナガノ』はひらがなの方がいいね」ということになり、「わくわく!ながの」に決定した。

マスコミには、この「わくわく!ながの」と民主党長野県連の間で「主導権を争った」と報道したところがあった。

しかし、これは事実と異なる。

私たちは、最初から「高野さんを確実に当選させる」ことを目的としていたため、当然民主党と候補者を一本化するつもりでいた。

しかし当初、民主党は独自候補を立てようとして、女性のA氏を擁立するつもりだったので、なかなか話をする機会を持てなかった(A氏はその後辞退する)。

そして、「総選挙が終わるまで動けない」ということだったので、私たちもそれまで大っぴらに動けなかった。
そして、最初に出された条件が
・田中色は出さないで欲しい
・市民運動色は出さないで欲しい
といったものだった。

「田中色を出すな」ということは、田中康夫元知事を応援していた人を表に出すなということだ。「市民運動色を出すな」というのは文字通りで、これは私も基本的には賛成だった。

私たちは、民主党が主導権を握る選挙で全然かまわないと思っていた。

そして総選挙で民主党は大勝し、高野さんは民主党幹部と会うことになった。

民主党幹部は、すぐに高野さんのすばらしさを認識したが、選挙で大勝したこともあり、「選挙は民主党丸抱えでやりたい」と言った。

そこで公募の形を取り、いろいろあって他薦ということで民主党推薦の可能性はできた。

これも基本的には問題なかったが、「出馬の記者会見も民主党が行う」とのことで、これにはさすがに簡単に同意できなかった。
記者会見場の背景に、「生活が第一」「民主党」のタペストリーを下げて、高野さんの両脇に北沢俊美長野県連代表と篠原孝衆議院議員が並んで記者会見する姿は、どう考えても変だ。

私は、共同でやることを提案しようと思ったが、その前に高野さんが「私は市民のみなさんといっしょに選挙を戦う決意をしました。これなら私が出る意味が無くなってしまう」と言ったそうだ。高野さんの、このスタンスは、最後までブレることはなかった。

このことがきっかけになって、民主党は「独自候補を立てる」と言い出したわけだが、今でもなんでこんなことで決裂したのか理解に苦しむ。民主党が推薦を出し、主体になって選挙を戦い、市民は勝手連で参加すれば良い話だったのだ。

だから、主導権を争ったという話は間違いだ。民主党が独自丸抱え候補にこだわらなければ、簡単に一本化できた。

浅川ダムへの対応が原因になったという話もあるが、これはそんなに大きな話ではない。高野さんは反対を唱えているわけではないし、もともと県営ダムなので、これが決め手になることは無い。

これで完全に決裂したかに見えた一本化だったが、実は最後にチャンスがあった。
告示日2日前に、最後の一本化が図られた。

これに関してあまり詳しいことは書けないが、私たちはまず一本化をお互いに合意してから、候補者を絞る話し合いをするものだと思った。 ところが、民主党側は最初から「小林で行く(だから高野は降りてくれ)」というスタンスだった。小林氏で当選できると考えていた。

私はこれを聞いたとき、怒りというよりも、呆れる気持ちの方が大きかった。完全に戦況を見誤っていることに、民主党自身が気づいていない。
これで完全に決裂して選挙戦に突入することになった。

もう一つ。共産党に関して。

マスコミにはあたかも共産党の推薦をもらったかのような報道も見られたが、これも違う。

正確な説明は以下。別に共産党が推薦を出したわけではない。

共産党長水地区委員会、長野労連などでつくる「市民が主人公の長野市政をつくるみんなの会」」は2日夜、市内で集会を開き、同日正式に立候補表明した高野登氏(56)=無所属、東京都江東区=を支持すると決めた。(信濃毎日新聞 10月3日)

共産党に対しては、ムダな候補乱立を避けるために、早い時期から接触していた。

最初は不安だったが、選挙が終わるまでただの一度も揉めたことはなかった。

これは、主に石坂千穂県議の優れたマネージメント能力と政治力による。

石坂さんは最初から「共産党としては動きません。市政を変えるために一本化しましょう」「高野さんを擁立するのであれば、民主党の公認でもかまいません」と一貫して実に見事な采配を奮ってくれた。高野さんが、最後に「石坂さんの眼の力は素晴らしい。あの人はどの政党に行っても素晴らしい政治家になると思います」と言っていたが、私も今回初めてお会いしてそう思った。民主党県連は、石坂さんに政治を教わった方が良いのではないか。

私は、ずーっと石坂さんの苦労と柔軟な考え方と強い意志を平野会長から聞いていたので、初めて会ったにもかかわらず、握手をしたとき目頭が熱くなってしまった。

長野県の民主党と共産党。国政のそれとはかなり異なる。

長野市長選擁立候補落選 出直しの道険しい民主県連(信濃毎日新聞)

民主党は、今回の敗因を都合良くまとめずに、市民の目線で厳しく反省してほしい。

そうしないと市民どころか県民からの信頼も無くなり、来年の参院選では今回の総選挙とは異なる結果となってしまうだろう。

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長野市長選挙。最高の人物を当選させることができなかった。

2009 年 10 月 26 日 コメント 10 件

長野市長選挙が終わった。

結果は

鷲沢正一 (現職):58,379
高野登 (新人):57,728
小林計正(新人) 31,184

鷲沢氏との差は651票。

投票率は48.82%
前回よりも10ポイント以上 アップしたものの、鷲沢氏は前回よりも得票数を下げた。

しかし負けた。たかだか651票であっても負けは負け。
結果として、日本の宝物を長野市のために使ってもらうことはできなかった。 私に課せられたことがいくつかあったけど、それを全うすることができなかった。

候補者として最高の人物を擁立しながら、本来ならば全部こちらに取れる31,184票を取れずに651票差で負けた責任の一旦は、まぎれもなく私にある。
35年間 いたホテル業界を去る決意をさせるために、私は「高野さんならな必ず勝てる」と言った。選挙に「必ず」という言葉は無いのに。

それだけの逸材だった。高野氏が話すと聴衆の目の輝きが変わっていくのがわかった。そんな人物はなかなかいない。

民主党の動きを抑えるのも私がやるべきことだった。応援に入った中央の議員たちは、長野県連が立てた候補者が、天下りをしていて浅川ダム推進であることを知ると、一様に驚きを隠せなかった。しかし、党で決まったことなので、応援を断ることはできなかった。

選挙としては、泡沫と見られていた候補が、自民党推薦の現職に651票まで迫ったので、次につながる選挙だったと言える。しかも、内容では負けておらず、むしろ大きく勝っていた。

事務所近くのデニーズで、一緒に開票を待っている間。NHKの速報で鷲沢氏当確を知った瞬間。そして、まるで祝勝会場のように賑わった事務所を出て、長野駅前の居酒屋で夜中の2時過ぎまで話した間。高野さんは、ただの一回も愚痴や後悔のような話をしなかった。

今は後悔しか無く、分析や裏話を書き始めたら終わらなくなってしまうので、今回はこれくらいにします。

ご心配いただいた方々、ありがとうございました。

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10.25日 長野市と日本の自治体行政の明日に希望を

2009 年 10 月 25 日 コメント 4 件

いよいよ長野市長選挙の投開票日となった。

ここのところ、私のブログはすっかり「長野市長選特集」になってしまっていた。

それは、「高野登という人物がおるんだが」という一言から始まったこの選挙で、ずーっと将来の長野市だけでなく、日本の自治体行政において、おそらくかつてない改革が行われるであろうことを感じ続けていたからであり、高野登というホテル業界の第一人者を政治の世界にデビューさせることに興奮を覚えていたからだ。

長野市で行われる高野改革は、確実に長野県内に波及し、日本全国に影響を与える。
そんな希望があった。

途中、民主党との一本化が不調に終わり、素人ばかりの選対の迷走もあり、自民党が推す現職と、民主党単独候補の新人の間に挟まれて、「泡沫ではないか」と言われることもあった。

しかし、高野氏は最初から最後まで全くぶれずに、日々輝きを増していった。

市民の反応も上々で、私が今まで見てきた選挙の中でも、特に良い手応えだった。

直前の情勢調査では、現職と高野氏が互角の戦いとなっているという。おそらく前日の様子では、頭一つ抜けたのではないかと思えるほどだ。

しかし、今までもたとえばある市長選で、3日前まで新人が優勢だったものが、創価学会が最後の3日間で動いて逆転されたケースもあったので、全く予断を許さない。

今回もそんなことが無いとは言えないが、ここまで来たら、後は長野市民の意思に任せるしかない。

高野登氏 選挙戦最終日の演説

高野登氏 選挙戦最終日の演説

しかし、何度も書くけど、高野登という人物は、これからの地方行政や日本そのものが必要としているものを確実に提供できる数少ない人物の一人で、今の長野市制を立て直すには、これ以上無い人物だと思う。

この選挙期間中、何度も目頭が熱くなった。それは高野氏本人の演説だけでなく、応援に来た方々の演説だけでもなく、一番は窓から乗り出して手を振り、車ですれ違い様に手を振り、家から飛び出してきてスタッフの手を握った市民の姿にひたすら感動していたからだ。
このような光景は、現職や民主党丸抱えの新人には無かったはずだ。

長野市の将来と長野市民の良識を信じて、これから開票所に向かいます。

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10.21水 長野市長選で感じる地殻変動。さあ、マグマが吹き出すか。

2009 年 10 月 22 日 コメント 1 件

また、少し間が空いてしまいました。
実はこの間、長野と郡上八幡に行っていました。

まず、長野市長選挙告示日。

始発の新幹線で長野に向かい、高野登さんの出陣式へ。

勝谷誠彦氏応援演説

勝谷誠彦氏応援演説

勝谷誠彦さんの熱すぎるほどのメッセージと、高野さんの若干緊張していたのか、感極まったのか、かみしめるような挨拶を聞いていたら、自然と涙が出てきた。

高野登さんの挨拶

高野登さんの挨拶

これがスタートなんだけど、「やっとここまで来たか」という思いで胸がいっぱいになった。

そして遊説がスタート。

寄せ集めの遊説部隊には、行く先々で小さなトラブルが起きた。ハウリングが起きる。演説が始められない。垂れ幕がうまく付けられない。応援弁士を待たせてしまう・・・。

渡辺善美氏応援演説

渡辺喜美氏応援演説

それは、午後の「みんなの党」代表、渡辺喜美氏の演説まで続いた。

しかし、それを吹き飛ばすかのように、渡辺氏の演説は素晴らしかった。
地の底からわき上がるようなパワーに、ユーモアを交えながら、聴衆の心をぐいっと引きつけた。

渡辺氏の3カ所目の演説で、私は不思議な光景を目にした。
通常は、応援弁士の演説が終わると、ほとんどの聴衆は帰ってしまう。
しかし、今回は誰も帰らなかった。
電車の時間が迫り、先に帰った渡辺氏のあと、 高野さんは一人で演説を行った。
終わってから、聞いていた人たちとゆっくりふれあい、その後でみんな満足したように家路についた。

遊説カーでも、普通は窓から手を振る人や「がんばれ」と声をかけてくれる人をたまに見かける。
しかし、今回は初日から行く先々で見かけられた。そして圧巻だったのが、ある家の前をゆっくり通り過ぎようとしたとき、中からおばあさんが飛び出してきて、「絶対に負けるんじゃないよ。がんばるんだよ」と大きな声で 一人一人の手を握りながら叫んでいた。私は涙が止まらなかった。

長野市で何か大きな地殻変動が起きている

夕方には、前半でのグダグダ間はすっかり直っていた。これには秘密があるのだけど、選挙に勝ったら書くことにします(^^)。

そして、遊説は夜の7時半に終わった。
ウグイスさんが言った。
「まだ30分あります。やりましょう」

担当者は言った。
「今日は初日です。お昼も食べずにみんながんばったこともあって、みなさん疲れていると思います。また、明日から仕事が始まる人も多い。日曜日の夜に家でのんびりしているときに、外で拡声器の声がガーガー聞こえたらどう思うでしょうか」。

結局、私は「写真を撮って、様子を見てこよう」などと暢気に出かけていったのに、朝8時半から夜の7時半までずーっと遊説を付き合ってしまい、ちぎれるほど手を振ったり、必死にチラシを蒔いたり、終わってみたらクタクタになっていた。

翌日からの動きは伝え聞いたものしかないけど、きっとどんどん力強いチームに育っているのだと思う。

そして今日、嬉しい助っ人が現れた。

高野さんの親友。勝間和代さんの応援メッセージだ。

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勝間さんは、高野さんのボランティア活動とも関わっていて、高野さんの人柄を最もよく知る人物の一人だ。

実は、勝間さんの応援は最初から考えていた。しかし「政治に直接関わらせてはいけないかも」とか、「高野さんの出馬を快く思っていないんじゃないか」などと変に気を回していた。しかも選挙期間中は日本にいないため、望めないと半ばあきらめかけていた。

そうしたところ、なんと海の向こうから応援メッセージを送ってくれたのだ。変に気を使っていた私がバカだった。親友は、ずーっと心配し、応援してくれていたのだ。

また、市内ではあるひとつの動きが出てきている。これは形に出来るかどうかわからないけど、なんとか選挙後にも長野市を活性化させられるような動きにつなげていきたいと思う。

翌日は郡上八幡へ。
前日、長野から最終で松本に行き、ビジネスホテルに泊まって、翌朝郡上八幡に向かった。

長良川鉄道

長良川鉄道

目的は、本来の仕事である「ネット参謀」のバージョンアップ打ち合わせなんだけど、今回は行きの行程に「長良川鉄道の旅」を入れてみた。

これが大正解。

私はひどい「雨男」で、長距離動くときは7割以上の確率で雨が降る。しかも「観測史上最大の集中豪雨」とか「大雨のため高速道路閉鎖」などというものに何度も遭遇するのだけど、今回は珍しく快晴だった。

レトロな窓

レトロな窓

並行して走る長良川の水は、電車内からでも底がはっきり見えるほど美しく、まわりの風景はのどかで、ボーッと外を眺めたり、ウトウトしたり、写真を撮っていたら、あっという間に郡上八幡に到着していた。

郡上は、また素晴らしかったけど、止まらなくなるので今日はここまで。

そういえばAppleの新製品について、いろいろ書きたい!

でも、また後日だなあ。

車窓から観る長良川1

車窓から観る長良川1

車窓から観る長良川2

車窓から観る長良川2

10.17土 長野市長選告示。「やっぱり、長野市の将来を担う若者が選挙に来ないんじゃ、悲しいじゃないですか」

2009 年 10 月 18 日 Comments off

とうとう、長野市長選は告示日を迎えた。

現職vs新人二人の三つどもえとなる。
残念ながら、かなり不利な状態でのスタートとなった。

民主党長野県連と高野陣営は、最後のギリギリまで候補者統一を模索した。
しかし、結局それは叶わなかった。

今は、この内容について書けないけど、選挙結果によっては明らかになるでしょう。

いくら現市長が評判悪いと言っても、市民にとってはやはり市長。
告示日直前の信濃毎日新聞による調査では、「優勢」となっている。

それはわかっていたので、とにかく市民の関心を高める必要があるのと、高野さんを知ってもらわなければならないと考えていた。

そこで応援を考えた結果、まず勝谷誠彦氏が来てくれることになった。勝谷氏は以前、高野氏に会って、ひと言ふた言交わしただけで、その力を見抜いた。

次に、川田龍平氏。

それと並行して渡辺喜美氏の名前が挙がり、私はみんなの党のY氏を知っていたため、彼に連絡を取った。
すると、彼はすぐに高野さんのことを調べて渡辺氏に連絡を取った。「調べたら、共産党系の団体も推薦を出しているようです」と伝えたところ、渡辺氏は「政党や団体は問題ではない。人物だ。すぐに本人に会って来てください」と言ったらしい。

翌日、Y氏は新幹線に乗っていた。長野で高野さん本人と会談し、人物や考え方、政策などを確認した上で推薦を決めた。本当に人物本位だったのだ。

民主党長野県連よ、彼らの爪の垢でも煎じて飲んだらどうだ。長野県外が選挙区の民主党某国会議員は私にこう言った、「同じ党として情けない。長野市のみなさんに本当に申し訳ない」。

明日、18日の告示は、偶然にも前半が勝谷氏。後半は渡辺氏が応援に入る。

これをきっかけにして徐々に市民の関心が高まり、候補者の実績や政策を見てくれれば、可能性は出てくると思う。長野市民はじっくりと3人を比べて欲しい。

DSC_0062相手は、別に民主党ではない。現職を変えられるかどうかだ。これを実現するためには、長野市民が立ち上がって、自ら変えなければならない。

高野さんは、まだ立候補を決める前に、私にこう言った。

「もし私が出るとしたら、落ちるかもしれません。それはそれでいいんです。でもね、一つだけ実現したいことがあるんですよ。それは、投票率を上げることなんです。やっぱり、長野市の将来を担う若者が選挙に来ないんじゃ、悲しいじゃないですか」

総選挙では、数は少なかったけど、若者が投票率を上げようと立ち上がった。
長野でも可能だ。

選択肢はある。あとは長野市民が立ち上がるかどうかだ。

高野登と『わくわく!ながの』

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10.14水 一人で見る『夢』は夢でしかないけど、みんなで見る夢は『現実』になるんです

2009 年 10 月 15 日 Comments off

長野市長選や、ソニーの新型ノートPC、ダイソンの羽無し扇風機、臨時国会に向けてなど、いろいろ書きたいことはありますが、とにかくやることがありすぎて時間が無いので、しばらくブログの更新は不定期になります。

10月25日の長野市長選が終わったら、徐々に元のペースに戻します。

とりあえず、高野さんのビデオを紹介します。
あるミニ集会でのようす。
「一人で見る『夢』は夢でしかないけど、みんなで見る夢は『現実』になるんです」
素晴らしいことばだと思います。

ここに、もっといろいろあります。

YouTube Preview Image
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10.9金 コンクリートよりも人を大切にする市政で、「日本一」を目指す

2009 年 10 月 10 日 コメント 3 件

今日は、私の誕生日。
ジョンレノンと同じ日(^^)

さすがに、嬉しいと言うよりも「焦り」を多く感じてしまいます。
何歳か?・・・プロフィールを見ると分かっちゃうんだけど(^^;。

暇な若者から時間とパワーを吸い取れないかなあ(切実)。

ここに来て、時間の進み方がどんどん早くなっている感じがする。
この一年もきっとあっという間でしょう。

いつまでも現場に出ているよりは、次につなげていく態勢を整えていく一年にしないといけないかな。
先月創設した新会社「VoiceJapan」も早くスタートさせたいし、政権交代してそれで終わりではなく、私が本来やりたかった地方自治を変えていく動きを作っていかなければならない。

とりあえず、もう何回目になるか、朝型へのシフトをしてみようかな。あ、今3人ほど「へっ」ってバカにしたな。

さて、お約束した高野登氏の政策が発表になった。

タイトルは、昨日も書いた

コンクリートではなく、人を大切にする市政にします。

1009_2まさに、本家民主党の鳩山代表のことばと同じだ。
これを民主党長野県連が言えないことは昨日も書いたとおり。もちろん、現市長も言えない。

長野県民にとっては、田中知事の「脱ダム宣言」でおなじみの理念となる。

つまり、高野市政は、田中県政と近い理念となるのだ。

他にもいくつか特徴がある。
ひとつは、筆頭に「子育ての不安を取りのぞきます。」 を持ってきたことだ。

奇をてらった政策ではなく、言ってみればど真ん中の直球となるので、メディア的には面白くないかもしれない。
しかし、これは高野さんが市民の声を聞いていく中で、強烈に意識したことだったと言う。「少子化対策」というものではなく、まずは日々直面する子育ての不安を取りのぞくことが一番大事だということだ。

その他、全部で6つの大きな項目がある。

そしてその前に3つの「日本一」がある。それは以下のとおり。

  1. 市民ひとりひとりを日本一大切にする長野市へ
  2. 魅力ある日本一の観光都市 「NAGANO」 へ
  3. ムダづかいをなくし、日本一くらしやすい長野市へ

なぜ「日本一」なのか?

これは、高野さんが実際に話している映像を見てもらうのが一番良いのだけど、ソースがないので、私の頭の中に入っている高野さんのことばを、私の稚拙な文章で紹介します。

高野登が目指す「日本一」のルーツ

日経ビジネスの「ホテルランキング」というのがあるんです。
大阪のリッツ・カールトンを開業したときに、「日本一のホテルになれないだろうか」と考えたんですね。「良いホテル」というと漠然としていて、それぞれが考える「良いホテル」の基準があるので、なかなか 目標がはっきりしないんです。でも、「日本一」というと、それぞれのやるべきことが非常に明確になるんです。「日本一のホテルにするには、私はこうやろう」ってね。

でも、その時までは東京のホテルが毎年必ず一番になっていたんです。
そこで、私は電話して「このランキングは、東京のホテルが一番になるって決まっているんですか?」 と聞いたら「そんなことないですよ」って。

これで、「よし、日本一を目指そう」って決めたんです。
そうなったら、スタッフの目の輝きが変わってくるんですよ。毎日「日本一になろう!」って言えば、自分の仕事がそこに向かっていくんですね。

そして、5年ほどかかりましたけど、日本一になったんです。東京以外のホテルでは初めてでした。

もし、「良いホテルにしよう」とか「最高のサービスのホテルにしよう」という目標だったら、きっと日本一にはなれなかったと思います。だって、そんなホテルはいっぱいありますから。

でも、日本一は一つでしょう。だから、それを目指すことによって、みんなの見る方向がガチッと一致するんです。

高野登の基本政策

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