長野市長選挙に関しては、とりあえずこれで終わりにします。
個人的には、まだ引きずってます。
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高野登さんの擁立は2年前に遡る。
田中康夫元知事が3度目の知事選で敗れたあと、その時田中さんに投票した53万人の思いを次の長野県政につなげていこうと、平野稔氏(平安堂会長)は独自に次の知事候補を探し出した。
私は、2002年に東京に出てきてから長野県政には関わっていなかったので、時折平野さんの相談を受けるような形になっていた。
みなさんは、平野会長をどうイメージしているでしょうか。
彼は、正義感に溢れた熱血漢で、決してぶれることはない。思いやりと気配りで私のような若造(そんなに若くもないけど・・・)にも常に丁寧に接してくれる人だ。
あまりに芯が強いので、相手によっては衝突することもある。しかしそれはお互いの目線が異なる場合であり、平野さんは常に市民目線で考えているので、相手がそうでなければ誰であっても対立することになる。
平野さんから相談を受けた私は、つい思いつきで「地域政党を作りましょう」と言ってしまった。
そして出来たのが地域政党『新しい信濃の国』なのだが、器だけ出来ても実質的な中身(事務局)がないので、なかなか活動を進められない状態で今日まで来ている(詳しくは『電網参謀』・・・って、こればっか(^^;)。
2008年には松本市長選挙に中途半端に関わって惨敗してしまい、「次は自分たちで候補者を擁立して、積極的に関わらなければ」という思いが強く残った。
一応、知事候補と長野市長候補を並行して探していたが、まずは長野市長を変えなければ始まらないということで、市長選の勝利を目指して最高の候補者を捜すことになった。
そして複数人の人物を挙げたが、これといった決め手がなかった時に現れたのが高野登氏だった。
平野さんが高野さんを知ったきっかけは割愛するが、一度会って「この人物しかない」と感じたようだった。私は平野さんから話を聞き、ネットで調べ、著作を読み、そして本人に会って「この人しかいない」と感じた。
今までの改革派首長の多くは、県庁や市役所の職員を「市民にお仕えする公僕」と捉えて、それまでのぬるい仕事っぷりを直したり、より市民のために身を粉にして働くことを強要する。
しかし、高野さんは違う。
おそらく、首長になれば職員を非常に大事に考える。職員が安心して働ける職場環境を作り、目標を共有し、市民の満足が自分の満足に繋がる意識をみんなで作り上げていくことができる。
そうなると、自然と業務は改善され、市民と市政の距離は縮まっていく。
これが絵空事でないのは、すでにリッツカールトンという成功例があるからだ。
そのまま行政に当てはめれば良い。
だから、高野さんは、日本で初めての『ザ・行政』に取り組むはずだった。
それを政策チラシに織り込むために、「日本一」ということばを使った。
これも、高野さんがリッツカールトンで実現してきたことであり、長野市でも必ず実現できると確信できることだったからだ。
これに関しては以前書いたとおり
コンクリートよりも人を大切にする市政で、「日本一」を目指す
さて、高野さんを見つけたまではよいが、立候補を決意してもらうのは簡単にはいかなかった。
ホテル業界を牽引し、全国を飛び回り、数々の街おこしにも関わっている高野さんに、故郷だと言っても、いきなり政治家となって一地方都市の首長になる決心をさせるのは不可能だと思われた。
この詳細も割愛させてもらうが、結局、平野さんや私を信じてもらうしか無かった。
私が今でも引きずっているのは、この信頼を裏切ってしまったからであり、先日も書いたが、致命的なミスが何件かあったからだ。
一つは、民主党との一本化に失敗したこと。
これは先のエントリーでも書いたように、民主党がA氏擁立に失敗した時点で、「最終的には高野さんで決まるな」と思いこんでしまった。民主党側が言った「私たちは選挙を何十年もやってきているプロだから」というセリフをそのまま信じてしまった。選挙のプロが、みすみす最高の候補者を前にして、共倒れの恐れが出るようなことをやるはずがないと思いこんでしまった。
次に、メディアの調査と街の反応を信用しすぎてしまったこと。
以前も書いたように、とにかく反応が良かった。告示日にいっしょに回ったが、何度泣けてきたことか。それほど市民の反応は熱いものがあった。
期日前投票の出口調査も良かった。投票前の水曜日あたりでは互角の情勢分析が出ていて、出口調査と街の反応で「勝てる」と思ってしまった。
本当は、接戦の場合には最後の24時間でひっくり返すことが可能だ。以前の桶川市長選で最後の2日でひっくり返された事例を知りながら、「自主投票」を決めていた某団体に対してノーマークになっていた。
三つ目が、現場に入れなかったことだ。
私が現場にいたからと言ってどうなるものでもないが、東京にいるとどうしてもワンテンポ判断が遅れるのと、現場の空気がわからないので強い指示と適切な判断を出せなかった。正直言って遠慮していた部分もあった。
この他にも「もっとこうすれば良かった」といった反省はいろいろある。
高野さんは、私のことを100%信用してくれた。私の本を読んで、会って間もないのに、私が提案することは何でも前向きに取り入れようとしてくれた。高野さんが退路を断って来ているのだから、私も退路を断つぐらいのことをやるべきではなかったか、と思ったのだが、それは後の祭りだった。実はこれが最大の後悔となっている。
しかし、すでに終わってしまったことだ。次を見なくてはならない。
長野市民にとって期待が持てそうなのは、3期目の鷲沢市長が、投票日翌日に「いただいた5.8万票より、反対票が9万票近くあった。今回の選挙は完敗です」と発言したとされることだ。
実は、平野さんは鷲沢さんに対して「彼は人間は悪くない。若い頃にお父さんを亡くし、学生のうちから社長として車で送り迎えされるようになってしまったので、一般市民の感覚がわからないのだ」と言っていた。また、4年前の選挙で投票率が37%しか無かったことに対し、鷲沢さんは「これでは信任されたことにならない」と激怒していたという。本当は、市民の声を聞きたいのではないだろうか。
私が会った「市民」にはすこぶる評判悪かった鷲沢市長だが、一般の「市民」にはそれほど悪い印象は無かったのではないか。
これは最初から危惧していた。今まで、選挙に関わる「市民」が「現職は最低ですよ。市民の間でも評判が悪いんです」 と言っているのに、実際はほんの一部の「市民(活動家)」に評判が悪いだけで、蓋を開けたら惨敗したケースを何度も見てきたからだ。
私は、鷲沢さんのコメントを聞いたとき、安倍さん、福田さん、麻生さんの「自民党末期トリオ」を思い出した。決して彼らは人間的に悪いというわけではなく、生い立ちが原因で一般市民の気持ちがわからないだけなのだ。
鷲沢さんはどこまで変われるか。おそらく、市民が市政への感心を落ち続けないと、なんとなく4年が過ぎてしまい、また同じ光景が繰り広げられることになるだろう。
主導権は市民にあるのだ。
今日、間違って「高野」で検索して、高野寛のビデオを見つけてしまった。
高野寛さんは、いわゆる「ミュージシャンズ、ミュージシャン」で、端正な顔立ちが災いしたのか、過小評価されているが、同業者にもファンが多い実力派のミュージシャンだ。
彼の作品で私が最も好きな、「ベステンダンク」という曲がある。なんとトッドラングレンがプロデュースした名曲だ。
ドイツ語で「最大限の感謝」という意味らしい。
もともと曲を気に入っていたのだけれど、歌詞をちゃんと見たら市長選を思い出して、また目頭が熱くなってしまった。
この声は小さすぎて
君の元までは届かない
例えそれを知っていても
叫ばずにいられない
(これ以降はこちらをご覧下さい)
高野さんの演説は決して絶叫型ではなかった。淡々としたしゃべりが、じわりじわりと染み込んでいくような演説だった。しかし心では叫んでいた。「市民に届け」と念じているようだった。
これはアコースティックバージョン

こちらはプロモーションビデオ

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